『生活考察』編集日記

辻本力。ライター・編集者。『生活考察』編集人。お仕事の依頼は chikarat79@gmail.com まで。

サプライズ・パーティー&シャマラン新作『ハプニング』

先日、また新たに歳を重ねた。
で、昨日、サプライズ・パーティーを催していただいた。
会場は、駅南にあるカレー屋「カルマ」、皆、私の嗜好をしっかり把握してくれている。
これっぽっちも予期していなかったので、一瞬ポカンとしてしまった(突発的な大きな音に弱い為、ポカンのちクラッカーにドキリ)。
AGAGAさん、ゴッチャンさん、みーちゃんさん、VTRさん、左利きの脳みそさん、隊長さん、本当にありがとうございました。
もう『人間失格』のセリフなんて吐きません(言ってないけど)。
これからもよろしくお願いします。


で、話は変わって、書きそびれていたが、M・ナイト・シャマラン監督待望(?)の新作『ハプニング』を観に行ってきた。
シャマランの作品は、普通に観ると怒りを感じる場合がある。
「なんじゃこりゃ」と。
私も最初はそうだった。
2時間付き合わされてこれか!と。
ただし、『サイン』のころからちょっと見方が変わって、今に至る。
よく思うのが、シャマランの映画って、「衝撃のラスト!」(いわゆるドンデン返しとか)といった、いわゆるオチを煽る傾向にあるが、本当にそうだろうか?
強いて言えば、『シックス・センス』とかはアレとして、作品のほとんどが、むしろまったくドンデン返さないゆえの、あまりに「そのまんま」だった驚きから来る「衝撃のラスト」なんじゃないだろうか。
言い換えれば、観客が期待しているであろう映画的なサプライズは、完全に裏切られる。
語弊があるかもしれないが、オチはないに等しい。
「状況的に見ればxだけども、本当はyだった」の「本当はyだった」が、「本当にxだった」といった感じか。
さて、個人的にはスルメ的作品となった前作『レディ・イン・ザ・ウォーター』も、その傾向と、シャマラン独特の奇妙としか言いようのないご都合主義的な展開が爆発している“物語”映画(メタ物語映画、と言ってもいいのか?)であったわけだが、はたして今回はどうだろうか・・・でも、オチうんぬんは置いておくとしても、やはり「ネタバレ」することは必至なので、多くは語りづらい。
でも、ちょっとだけ書いてしまうと、今回まず目につくのは、これまでのシャマラン映画にはなかった過激なシーンが多数ある、ということ。
そしてその多くが、ビジュアル的に格好いい(これも、これまでのシャマラン映画にはなかったもの。『サイン』の宇宙人を見ればわかるように)。
そして、『レディ・イン・ザ・ウォーター』で過剰に示されたある種の信仰のようなものが、『ハプニング』では無効化されている(ちょっとバベルの塔を想起させられた)。
それは、ある種典型的なホラー映画のエンディングとも言えなくはないラスト・シーンを見るまでもなく・・・。
これまでのシャマラン映画との差異を考えていくと面白いかもしれない。