『生活考察』編集日記

辻本力。ライター・編集者。『生活考察』編集人。お仕事の依頼は chikarat79@gmail.com まで。

「当たり前の反対」くらいは想定内

暑い…なんて言わずもがな、皆知っている。
というわけで、じっとりと日々過ごしている。


夏に書く日記なんてものは、どうしても「暑い」なんて衆目承知なことを最初に書きがちである。
でも、衆目承知な事柄、つまりは「当たり前」のことを書かずにいることはひじょうに難しいわけで。
それを回避するために、私のような「当たり前」のアタマの持ち主が考えうることといえば、せいぜい「当たり前」の逆をいってみるとか、そんなところだろう。
しかし、である。
例えば、「暑いからカレーを食べる」なんてことがある。
それは、普通に考えれば、暑い→涼しくなりたい→冷たい麺でも食べようか、となりそうなところを、暑い→いっそもっと暑く→(より暑くなりそうな食べ物である)カレー食べよう、といった発想の転換といったとこだろうか。
しかしながら、周知の通り、「夏といえばカレー」は料理雑誌の定番。
「当たり前」にとって、その程度のフェイントは想定内だ。
では、どうすれば「当たり前」の裏をかけるか。
夏にカレーを食べるわけは、なんてことはない、発汗を促し、結果としてより涼しくなろうという、ひじょうに実際的な理由からである。
あと、カレーに合う食材――特に野菜――に恵まれた季節であることも理由として挙げてもいいだろう。
少なくとも、カレーキチガイである私としては、反論しようのない、完璧な選択である。
ただ、ここまで書いてきた文章において、カレーが暑い国の食べ物であることは忘れられている。
カレーがインド発祥の料理であることを鑑みれば、「夏にカレー」が大胆な発想だとは言えなくなってくる。
だが、少なくとも、コロンブスの卵的な発想(?)ではあるかもしれない。
そうなると、日本において、最初に「夏にカレー」を提唱したのは誰で、いつごろの話なのだろうか、ということが俄然気になってくる。
カレーは好きだが、我が本棚において、カレーの歴史に関する文献はほぼない(ことに今気がついた)。
とりあえず、手近に見えた『たかがカレーというなカレー』という文庫本を手に取る。
カレーにまつわるエッセイを集めた好アンソロジーである。
ぱらぱらと頁を繰ってみるが、「夏にカレー」の黎明を告げる記述にはぶつからない(内田百輭の、カレーを食べたいが食べると帰りの汽車賃がなくなってしまう、どうしよう…で結局カレーを食べて歩いて帰る、というエッセイを、本来の目的から脱線してなんとなく読み返してしまう)。
仕方がない、今度大型書店に行ったとき、カレー本を当たってみることにしよう。
そもそも、「夏にカレー」に「始まり」なんてあるのだろうか、はて。


たかがカレーというなカレー (小学館文庫)

たかがカレーというなカレー (小学館文庫)

たかがカレーというなカレー (小学館文庫)